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「無償の愛」と「血」という呪い 角田龍一(金星宇)監督『血筋』

先日アマゾンプライムで配信されていた角田龍一(金星宇)監督の『血筋』を見たのだが、これがとんでもない作品だった。

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https://indelible2020.com/ より

indelible2020.com

 

この作品の噂は実は前から聞いていて、2019年のカナザワ映画祭『期待の新人監督』にてグランプリを受賞した作品だった。ちょうどこのプログラムのタイミングで子どもが生まれたため、自分は参加できなかったのだが『血筋』という作品がグランプリを受賞したことはリアルタイムで知っていた。そのまま鑑賞の機会がなかったのだが、偶然アマゾンプライムで配信されているのを見つけた。(作品の時間も1時間ちょっとなので育児の合間にもサクッと見れた!)

 

 

当時カナザワ映画祭のプログラムに監督が寄せた作品紹介からどのような作品なのか引用しておくと以下の通りである。

私は、中国朝鮮族自治州・延吉で生まれ、10歳のときに日本へ移住する。20歳を迎えたとき過去を振り返るため、画家だった父を探し始める。中国の親戚に父の行方を尋ねるが、誰も消息をを知らず、父の事に触れたがらない。ドキュメンタリー作品。

https://www.eiganokai.com/event/filmfes2019/enfd/program.html#sat1415 より)

この物語は上記にもあるように「ドキュメンタリー」である。

監督のルーツは朝鮮族であり、朝鮮族とは簡単に言うと日本の植民地支配から逃れるために満州の方へ移住した人々や朝鮮戦争時に中国へ渡った人々のことを指す。延吉市の様子なども劇中では映るのだが、なかなかに生活が厳しそうな場所だ。監督は10歳の頃に母親と日本へ渡ってくるのだが、自分のルーツを探るため父を尋ねるという物語である。

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延吉市の場所(Google Mapより)

この映画の見どころというとやはり登場人物だろう。

登場人物のキャラが立ちすぎている。「これ本当にドキュメンタリーなの?」「演技指導入ってるでしょ」というくらい、登場人物、特に叔父と父のキャラが濃い。これは監督がカメラを持った状態で撮影しているシーンがほとんどだが、「人間、カメラを向けられてもここまで自然体でいられるものなのか?」と思ってしまう。

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冒頭、監督が父と再会し一緒にサムギョプサルを食べているのだが、18年振りの再会に父の感情がとても高ぶっているのが伺える。いいところのやつっぽい、一張羅のスーツに身を包み、紫のネクタイを締め、なんだか「社長」のようなオーラを放っている。肉を食べながら再開した息子の近況や一緒に遊んだ思い出話に花を咲かせ、終始ご機嫌な様子である。

しかし、突然不穏な空気に包まれる。隣の席で食事をしていた人(男性)が息子にお酒を注ぐ父の姿を見て「父親にお酒を注がせるもんじゃない」といきなり口を挟んでくるのだ。父権的な韓国社会が突然牙を剥く。さすが韓国、人と人の距離感の近さがすごい…。父はそれに対して「18年振りに会った息子だ」「息子は日本に住んでいる」「大目に見てやってくれ」と弁解をするのだが、「それでも父親にお酒を注がせるのはよくない」と何故か赤の他人なのに引こうとしない。『82年生まれ、キム・ジヨン』という本が少し前に話題になったが、このような社会的背景をまざまざと見せつけられると、どれだけ女性が抑圧されているのかがよく伝わってくるし、この本が韓国国内で出版され物議を醸した理由とそれでも出版されたことのすごさがよくわかる。

そして一見、理解のある父なのかなと思うのだが、徐々に本当の姿が見えてくる。父の振舞いはお金持ちそのものなのだが、日雇い労働者で借金まみれであることが発覚する。何をするにしても「お金を借りてくる」ということを言いだす。監督は父の本当の姿に落胆していくようすが映っているのだが、息子の前でかっこつけようとする父の虚栄心は見ていてこちらも虚しくなってくる。それでも彼の口からでてくる言葉は「お金」についての話ばかりである。最終的には息子のお金でご飯屋さん、カラオケに行き、挙句の果てにはキャバクラにも行こうとする始末。そして段々と監督に対する当たりも強くなってくる。

 

監督の母方の祖父母は延吉市に住んでいて、派手ではないがつつましやかに生活をしている。印象的なのは、祖母やお米一粒でも残さないように食べているのに対し、借金まみれの父は外で食事をした際に食べ物を残す。韓国の文化では食事は残す前提でたくさんの食事を食べるという話をよく聞くが、借金まみれなのに食事は残し、残った食事を持ち帰ろうとする息子に対して「残飯を持って帰るな」と言い放つ姿からはもう絶望的な気持ちになる。また、祖父母はなんとか子どもたちに教育を受ける機会だけは与えてやりたいとして、質素な暮らしをしながら監督の母親を育てた。そんな中いまだに祖母が母親のことを想い「かわいい服をもっと買ってあげればよかった」と過去を後悔するシーンは胸が痛くなる。その一方、同じ延吉市にいる父方の叔父やその家族、父親からでる言葉は「金」。叔父の子どもたちも将来は金を稼ぐということだけが目標で特に明確にどんな人間になりたいなどはない様子。そして最初は優しく見えた叔父も段々と監督に対して冷たくなっていく。監督の父は長男なのだから、自分が稼いで長男である父にお金を送ったという話をしはじめ、最後には「もう撮影するな」と言われてしまう。

 

監督と父親の関係も悪くなっていき、父の振舞いに対して監督もぶつかるようになっていく。そしてとうとう喧嘩をしたまま監督は日本に帰ってしまう。再び父に会いに渡韓した際、父は喧嘩別れしたことを謝罪しながら「寂しかっただろ?お前はこちらを振り返ることもなく帰っていったもんな」ということを言う。これは息子のことを思っての言葉ではなく、父自身のことなのだろう。息子に対してカッコ悪い姿を見せてしまった自分が「寂しく」「振り返ってほしかった」だけだ。その姿を見ていると本当に「寂しい」人なのだということもわかる。

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「親による子どもへの愛は『無償の愛』」。いろいろな場所で耳にしたことのある言葉だ。しかしこの映画を見ていると親による「無償の愛」なんていうのはただの欺瞞なのだろうなと思わされる。子どもに「自分を認めてもらいたい」、「かっこいいと思ってもらいたい」、「振り返ってもらいたい」、自分を肯定してもらいたいがための愛。そんな気持ちはこの作品を見るひとりの親として私の中にもある。「無償」なんて言葉とは遠く離れた見返りを求めた愛である。ましてや、「愛を与える側である」と自認している大人(親)側が簡単に使うべきものではないだろう。これは完全なる主観だが、「子どもが親に与えてくれるもの」が「無償の愛」なのであって、親による子どもへの「無償の愛」なんて存在しない。

 

アマゾンプライムでこの映画に対するレビューを見てみると概ね高評価なのだが、中には以下のようなものを目にする。

私も似た境遇ですが、なぜ会いに行ったのでしょうか?

父親の愛を感じるが息子の愛は微塵も感じられなかった。

どうしてこう父親側の視点に立つのだろうか。これはただのホームビデオではない。韓国社会の歪みをまざまざと映し出した作品だ。この作品を見るとき、なぜ絶対的な力を持つ父親側の視点に立ってものを語るのだろうか。おそらく監督自身母親たちから父親の人間像は聞いているはずで、それを知ったうえでカメラを持って父のもとに訪れているはずである。そもそも18年間会っていない父になぜ愛情を持たなければならないのか。この父親は「見返りを求めた愛」を振り撒いた結果、最終的に監督に対して「期待外れ」などという言葉を投げかける。そして自分は「長男」であり「父」なのだ、それだけで偉いのだと語気を荒げる。

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先程も書いたが、この作品はホームビデオではない。閉じられた一家庭の話ではない。海の向こうの話でもない。これは私たちのすぐそばにある物語だ。「韓国は大変なのね」などという言葉で終わらせてはいけない。私たちも大なり小なりこの父側の視点、子ども(監督)の視点、社会的な視点を持っているはずだ。

最後に「なぜ会いに行ったのでしょうか?」というレビューに対して思うことを。「自分のルーツを辿る」、「自分が何者なのかを知りたい」という疑問に向き合うとき、そこには決して合理的な理屈なんて存在しない。「自分」を知りたいと願うとき、そこに理由なんているのか?逆に「なぜ会いに行ったのか?」という質問に答えるなら、「自分」を知りたいからという回答しかない。そこがわからないのに「似た境遇」なんて言えないと思う。

自分を辿ったとき、この映画のような父を知り「自分はこの血筋なのか…」と考えてしまうときやはり「血は呪い」なのだろう。しかしこの作品は『血筋』というあえて世間に対して閉じられたタイトルを用いた上で、ありのままの家族の姿をオープンに見せることで、逆にこの血を重んじる社会、呪縛に対して一石を投じているのだと感じる。強いて批判するのなら母親側の話がもっと聞けると見る側の視点も膨らむのかなと感じた。

 

最後の最後に…。これはとてつもないタバコ映画でありフード映画だ。登場人物は基本(といっても叔父と父親だけだが)終始タバコを吸っている。美味しそうに。お金はないのにタバコは吸い続けるんかいとツッコみたくなってくる。そして何よりも食べ物がめちゃくちゃ旨そう。見てると腹が減ってくる。これもまさしく「フード理論」に基づく映画だろうなと思う。父親は食べ物粗末にするし…。

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たくさんの人に是非見てもらいたい。

 

※劇中の画像は全てYouTubeにアップされている『血筋』予告編から拝借しました。(https://youtu.be/DR0xH5hoAt4)