BONNOU THEATER

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「問いかけ」への「答え」なのか?『ブレードランナー2049』

ブレードランナー2049』を見てきた。


映画『ブレードランナー 2049』予告

 

監督は『メッセージ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ


映画「メッセージ」予告編

『メッセージ』は個人的には結構楽しく鑑賞することができた。

静かな雰囲気の中に哲学的な内容を入れてくるというふんわりした感じ。

今回同監督が『ブレードランナー』の新作を監督するということで、聞いたときは『メッセージ』の雰囲気の監督が『ブレードランナー』を作るのか…?

期待と不安が入り混じりながら鑑賞。

不安通りでした。

 

世界観や設定はとてもよかった。『ブレードランナー』の世界をよく理解した監督が作ったんだなあと。

しかし、このもやもやは何なのだろうか。

 

今月の『映画秘宝』で柳下毅一郎氏が、

ブレードランナー』は答えではなく問いかけだった。*1

と書いていた。

  (今月号の表紙は熱い!!)

俺たちはみんな『ブレードランナー』に胸を熱くされ、その提示された問いに苦悩し、考え抜いてきたではないか!!!

 

しかし、今回の『ブレードランナー2049』は何を問いかけていたのだろうか。

というのが最大の疑問。

 

ブレードランナー』は人間とレプリカントの境界、その危うさ、宗教性、己の問い直しであった。

また、その宗教的要素は本当に感心した(宗教を持ち込むなという人間もいるだろうが)。

canalize.jp

(このブログは、『ブレードランナー』のキリスト教的視点についてすごく詳しく書かれててとてもよかった。)

 

ブレードランナー2049』の設定はレプリカントが差別を受けながらも人間と同じ仕事をする時代が到来していた。主人公がレプリカントであると明言されているのは観客にも新たな視点を持たせるという点で面白かった。人間のレプリカが己とは何かを考え、自分は特別な存在なのではないかと自問し、希望を見出していこうとするのはよかった。

しかし、イエス・キリスト(救い主)の誕生をモチーフにはしているのだろうが、なんだかそれもしっくりこない。レプリカント反乱軍(こいつらは何がしたいの?)はレプリカントが受胎し、新たな生命が誕生したことに神性を見出そうとしているのは何なのか。人間とレプリカの垣根を越えるものは「受胎」なのか?そして主人公の気持ちを真っ二つにするように、それは女でした。しかも何の苦労もしていない隔離された夢デザイナーとして活動していました。みたいな展開は何なのか。ガフが折る羊は何なのか。さしずめ、迷える子羊、1匹の羊を連想させるものなのだろうが。

 

なんか優等生すぎるんだよヴィルヌーヴ。うまくまとめようとしすぎ。

 

ここからは個人的なダメ出し。

・ホログラムの都合のいい女感は何なんだ。今で言うと二次元を愛するオタクの夢を現実に叶える画期的なシステムなのだろうが、無条件で自分を愛してくれる女性をそこまで求めてんのか。知り合った女とホログラムを重ねてセックスをするのは正直見てて無になるしかなかった。

・妊娠すりゃあ人間なのか?じゃあ妊娠できない人間は欠陥なのか?

・孤児院行くとき車ぶっ壊されたのにどうやって帰った。徒歩か?

・あの無能警察上司女は何なんだ。自分の部下の状態が正常でないと知っておきながら、部下が「目標は殺した」とか言ってるのを何の証拠も根拠も聞きも確認もしないで納得してしまうのはお前のほうが正常じゃないだろとしか思わなかった。

レプリカントが差別されてる世界が最初にだけしかよくわからず、ウォレス社のラブの身体能力とか強さは何なのアレ。平気でかかと落とし食らわせたり、首元へのチョップで人間殺してたぞ。あんなの怖くて差別とかできねーよ。こいつはレプリカントとしての葛藤はないの?

・何の前触れもなく、デッカードに娘に会わせてやるとか言って、あの夢デザイナーが娘だってなったのかが全くわからなかったんだけど、みんな気付いたの?というかあの施設何?警備とかいなくて一人でいるの?

・ウォレス、てめーの最初の袴は何だよ。

 

何度も言うけど『ブレードランナー』としての雰囲気は申し分なかった。

ただ、『ブレードランナー』には「見えないもの、自分を超越している何か、しかしそれが一体何なのか、救いとは何なのか」そこにある人間とレプリカのあやふやさという大きな問いかけが故意であったのかはわからないが、見ている側には投げかけられていた。

ブレードランナー2049』はその超越したものがすべて人間の手の中に入ってしまったような感じ。だからそこには想像の余地もなかった。だから、最終的には主人公の苦悩はどう昇華されたのかわからないし、感情移入はできなかった。『ブレードランナー』は最終的にはレプリカントに感情移入できたじゃないか。レプリカントとしての儚さみたいなものはどこにいったのか(俺たちのロイ・バッディの思いを返してくれ!!)。

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http://namonaiblog.blog.fc2.com/blog-entry-6.htmlより

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https://source.superherostuff.com/movies/blade-runner-sequel-receives-official-release-date/より

だけれども、よくわかんないけど、なんかとても綺麗な答えが提示されちゃった感じ。

「自分は特別じゃなくても、特別な者の役に立つことができるからこそ特別なのだよ」

みたいな。

 

なんか、学生時代によく俺を捕まえては、「最近何か深いこと考えてる?」とか「幸せって何だと思う?俺はもう答え見つけたけどね。」とかほざいてた年上の糞みたいな先輩を思い出す映画だった。

 

優等生が深いぶってるだけでハリボテの映画。

 

俺が見たいのはSFじゃなくて、哲学SFなんだよ!

人間vsレプリカントに焦点を当てないでくれ。

 

「あぁ、こんなのあったなぁ」で済む映画になればいいけど、あの袴男生きてるし何も解決してないから、続編作る気満々だよなあこれ。。。

*1:映画秘宝』2017年12月号