カナザワ映画祭『世界陰謀論大会』にてクーロン黒沢氏の『鏡の中の戦争』を鑑賞した。ただただ、謎の太った漢(敢えて漢と表記する)君塚正太がインタビューで語る様子を永遠と見る映画なのだが、この君塚正太の経歴がものすごいのである。
鏡の中の戦争【予告編】 WAR IN THE MIRROR : TRAILER - YouTubeyoutu.be
君塚正太の経歴は以下の通り(シックスサマナHPより引用)。
日本大学第三中学校卒、クラーク国際専門学校・ボディガード科卒。19歳にしてイタリア国家警察、フランス国家憲兵隊に少尉として赴任。世界各国の特殊部隊、フランス外人部隊の訓練にあたる。A級ボディガードとして、リトアニア大使、デンマーク大使、イタリア全権特命大使、フランス国家憲兵隊南仏司令部長官、フランス警察長官、フランス首相、スぺツナズ大隊長、イタリア国家警察主任、ノキア副社長、ストーカー被害者複数名、芸能人、会社社長二名、社長夫人……などの警護に当たる。アフガン戦争に小隊長として従軍。国際警察教官連盟にJP002として登録。これまで殺害した8千名の怨霊による戦争後遺症に悩まされながらも、タイの人身売買組織のメンバー47名を殺害し、20名以上の人々を救出。エジプトからリビアに潜入し三週間にわたって破壊工作を行ない、FBIからの召喚により渡米。訓練を経て連邦捜査官のIDを受け取る。
この映画のレビューを見ると、「病気」などと書いている人も多いが、単に「病気」として片付けてしまうと、この映画の一番面白い部分を見落としてしまうのではなかろうか。
確かに、この君塚正太という人物の危うさは画面からひしひしと伝わってくる。
この映画の冒頭は君塚正太が書いた小説『竜の小太郎』のアマゾンレビューを監督が見ているところから始まるのだが、レビューが2件のうち、1件がこき下ろす内容である一方、もう1件は絶賛の長文コメントであり、そのコメント内容が明らかに怪しい、「自作自演」を疑ってしまう内容となっている。ただ、それが自作自演なのかは誰にもわからないのだ。
「誰にもわからない」
ここが今作の一番面白いところであって、その他の君塚正太の数々の武勇伝に対してもそれを追及しようとしないのがこの作品をさらにいいものにしている。このブログの前回の記事では、『君の膵臓をたべたい』という何の役にも立たない映画について書いた。
そこで、「フィクションとはどうあるべきなのか」ということについて少し意見を書いたのだが、この映画はその答えを出しているのではないかと思うのである。
君塚正太の語り口を見ていると、本当に人身売買組織を一人で破壊したのではないか?しかしそんなわけないよな…。本当にボディガードをしていた相手を抱いたのか?いやいやそんなわけないよな…。という具合に、「本当なのかも」、「そんなわけない」とゆりかごのように思考がいったりきたりするのである。この映画から、私たちは、君塚正太が体験した(?)アフガン戦争を疑似体験できるわけではない。しかし、彼の語りからなんとなく想像ができてしまうのだ。
「ありそうでありえない」「ありえないけどありそう」このアンバランスな部分をこの君塚正太の人間性そのものが体現してしまっているのだ。この映画はあまり言いたくはないが、「フィクション」として分類されるのだろう。しかし、彼の存在自体は「ノンフィクション」である。その不確定さ、「いるけどいない」、「誰にもわからない」部分が多すぎるため、もはや私たちは「ドキュメンタリー」として扱うしかないのだ。
このギリギリの部分、紙一重さが私たちの心を掴んで離さない。
これこそが「フィクション」のあり方なんだと思う。
ちなみに、この君塚正太、ツイッターをやっている。
覗いて見ると、なんだかお金や節約、職業訓練的な話ばかりしていて、本当にこの人がボディガードをしていたのか!?憲兵隊にいたのか!?などと疑ってしまう。
しかし、彼のブログ
では13歳の時に少林寺の道場破りをした話や、5歳のときにレンジャー課程を修了した話など、これまた最高な文章が掲載されている。必読である。
恐ろしいことに、この映画、アマゾンプライムに入っていると視聴可能である。今まで入ってなかったけど、これを機に入って再見するしかない。