BONNOU THEATER

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感動ポルノ?ふざけんな。『聲の形』

この間実家に帰ってダラダラしていると、テレビの録画リストの中に『聾の形』という映画が入っているのを発見した。そういえば昨年地上波だかで放送するとかなんとかで話題になっていたことを思い出したので、見てみることにした。ちなみに原作は読んでいない。

 

 

 

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聲の形公式サイトより

www.youtube.com

あらすじをざっと書いておく。もっと気になるやつはウィキを見るべし。

ja.wikipedia.org

主人公石田が小学校時代に転校してきた西宮は先天性の障害によって耳が聞こえない女の子。石田は気になるという思いから、ちょっかいをかけるようになり、最初は優しかったクラスメイトもだんだんと西宮を煙たがるようになり、次第にいじめへと発展していく。西宮の補聴器を奪い取っては投げたり壊したりしていた石田だが、ある日、いつもと同じように耳から補聴器を奪い取ったところ、引っかかってしまい、西宮は耳から出血をしてしまう。そこから、いろいろと話が展開し、西宮は転校、石田は逆にいじめの対象となってしまう。そこから月日は過ぎ、高校生となった石田は自殺を試みるが、結局はできなかった。そこで、昔いじめていた西宮に会いに行く…。

こんな内容。

 

一言で言うと、とんでもなく酷い。

日本の中高生や頭お花畑人間どもが感動する映画ってどうしてこうまでして下衆いものしかないのか。Yahoo!映画とか見ても高評価ばかり。filmarksも同じく。

ここまで人気な映画だろうから、批判すると、変な奴も湧いてきそうだが、

「救われたい私」

に終始しすぎてはいないか?

アニメだから多少は!とか言うかもしれないが、これは私が以前書いたフィクションとはということを読んでもらいたい。高校時代を経験している人間にとって、この物語は有り得るのか?

jzzzn.hatenablog.com

映画全体の見栄えやキャラについてだが、登場人物が基本的に屑しかいない。

まず主人公。

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すべての元凶。聴覚障害者をいじめておいて、いじめがばれて周りに自分がいじめ返されたから死にますとかいう鬼のメンタルの持ち主。いくら子供だからといって、人の補聴器と一緒に耳を引きちぎる時点で許されるべき人間ではないだろ。そこから心を入れ替えて手話を学びましたとか都合よすぎ。挙句の果てにはいじめていた相手のことが好きになるという立派なサイコパス。自分の青春を取り戻すためにいじめていた相手を利用しているようにしか俺には見えなかった。なめすぎ。

そしてヒロインの西宮。

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これを言うと、「アニメだから!」勢が湧いてくると思うのだが、ここまで美少女な理由はなんなのか。正直これが美少女でなければ石田は自責の念を持たなかっただろ。そしてヘラヘラしすぎ。美少女で天然で体に不自由がある。これってこの国でどれだけ消費しつくされてきたコンテンツなのよ。眼帯美少女とかとなんら変わらんだろ。そして、昔自分をいじめ倒して、耳まで引きちぎった男を好きになるか?そんなチンケなトラウマなら転校すんなや。なめすぎ。

西宮の妹についても、気に食わないところは多々あるが、中でもウィキペディアに載っている一文は本当に気持ち悪い。

趣味は写真撮影で、いつも一眼レフカメラを首から下げているが、撮影するのはもっぱら動物の死骸ばかりである。その理由は硝子が小学生時代にいじめを苦に自殺を考えていたことに対し、動物の死骸の写真を見せることで自殺を思いとどまらせるためであった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/聲の形より

全てが気持ち悪い。普通に生活してて自分が一眼持っているときに動物の死体に遭遇するかね。こいつが殺ってんじゃないのかって思うよ。カメラで盗撮したりとか。

小学校時代のクラスメイトたちはもう言うまでもなくゴミみたいな奴らしかいない。植野がどうとか川井がどうとかはもはやどうでもいい。俺が一番気に食わないのは、真柴とかいうやつ。ぽっと出のくせに首突っ込んで、自分が正義だと思い込みやがって、空気も読めないのか。

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あと、小学校時代のあの教員は何?まったくもって感情がなくて、お前なぜ教師になったと問いただしたくなるレベルの授業内容と生徒への指導。あんなのいないわ。いじめ発覚したときも、校長の前だから的なのはまああるんだろうけど、子供相手に口調がイキりすぎ。発言するたびに笑ってしまった。意味不明な方向に教師をデフォルメしすぎてないか?

あと、ちょいちょい植野がコスプレ喫茶的なのでバイトしているのではないかみたいなミスリードを入れたり、足のアップがあったりとかも必要なさすぎ。

 

とかまあ書き出すと止まらん。基本全員メンヘラ。

冒頭にも書いたように、この映画は「救われたい自分」に登場人物が酔いしれ過ぎている。そんな自分に対して生まれてくる「自殺願望」は陳腐でしかない。自殺まで考えてしまっているのがとてもえらい!尊い!的な発想はどうにかならないの?そこまで追い込まれていたんなら許されてオッケー!みたいな感じ。死ぬことが尊いのか?簡単に橋から飛び降りようとしたり、私がいたら迷惑だからとマンションから飛び降りたり。正直私自身、死のうと思ったことは確かにある。しかし、この映画は自ら死を選ぼうとする人間のもっと細かい気持ちの揺れ動きや、心の機微をないがしろにしすぎていないか?ジョジョの奇妙な冒険第6部に登場するサンダー・マックイイーンかよお前ら。

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そして、自分がしてしまった罪を0(チャラ)にしようとする描写が多すぎる。相手の心と体を再起不能にするまでのいじめ、その代償が相手の自殺を食い止める身代わりなのか?それって何かが許されるの?自分がしてしまったことに対する罪滅ぼし的なシーンが綺麗に、都合よく描かれ過ぎていないか?ましてや生き返るし。自分の娘をいじめていた石田の母親に対して、娘がされたことと同じように、石田母の耳をピアスごと引きちぎった西宮の母親は、土下座によって自分がしたことをチャラにさせられたようにしか感じない。マウントの取り合いのようにしか見えないんだよ。人が何かを反省したり、許されたり、許したり、、、ってこういうことじゃないと思うんだが。誰かに許されたいという自分の思いを正当化してはならない。

また、この物語が一見とてもきれいなものに見えるのは、西宮の異常なまでの聖人っぷりにある。何をされても文句を言わない。人を簡単に信じる。自分の感情をほとんど表さない。表さない割にマンションから飛び降りる。そして簡単に自分の耳を引きちぎった男を好きになる。基本的に都合がいい女なんだよ。石田は自分が許される可能性があるから近付いたんだろうとしか思えない。「自分が許されたい女性が自分のことを好きになる」って本当に発想が男性的すぎて怖いんだよ。そもそも作者が女性というところにも愕然とする。

最終的に、主人公は気が付けば周りに友達がいて、青春を取り戻していた!涙!って。。。最終的には自分が気持ちよくなって終わるのもどうなの。

 

この映画を「感動ポルノ!」「いや、感動ポルノとは言わない!もっと崇高なレベルの映画だ!」みたいなよくわからない議論もあるが、この映画って感動ポルノ以前のものじゃない?聖人を取り巻く人間たちの自己愛と欺瞞に満ち満ちた映像でしかないでしょ。まだ『あの花』とかのほうが見れた。また、聖人とは言いつつ、自分のことをいじめていた相手を好きになるってもはや聖母的でもなんでもない。なんで女性作者がこんな男に都合のいい発想に陥ってしまうのだろうか。映画だからありえないことでもオーケーではないんだよ。アニメだから飛躍していいわけではないんだよ。フィクションとの微妙な塩梅をわかっていなすぎる。自分が救われたい死ほど陳腐なものはない。

 

あと最後に、病室で目覚めて勝手に病院を抜け出すシーンは法律で禁止してほしいレベル。マンションから落ちてるんだから、確実に点滴されてるし、チンコにも管を突っ込まれてるよな。あれを夜な夜な自力で引っこ抜いて、リハビリなしで病室から抜け出したってことだろ?そして橋の上でヒロインとバッタリ…。もうやめようやこういうの…。