私はすでに地元と言ってもいいであろう川崎を離れて4年になる。
私が住んでいた当時から「カワハロ」なるものは開催されていたが、参加したり、見に行ったりしたこともなかった。
こっちに越してきてから、LIP’Sプレゼンツ『ロッキーホラーショー』が上演されていたことを知った(復活オメデトウ!)。
最近ツイッターのタイムラインには、渋谷で仮装した人間たちが暴れまわっている映像が流れてくる。軽トラを倒し、警察を挑発し、酒もあってか自分は強くなったと力を誇示しようと見せつける。
おまえら普段どれだけ抑圧されているんだ?
まあこの件についてもごちゃごちゃ言うつもりはないのだが、こういうイベントに対して、「もともとこのイベントの起源は~…」とかのたまうのもまた老害感があって辟易するが、近年このようなイベントに対する文脈の欠如はいかがなものなのかと思うのだ。
思想的植民地というか、文脈がなさすぎる。文化の欠如と言ってもいいのではないか。
そこには背景というものを考えなければならないが、すべて都合のいいところだけかすめ取っていって何が大切なのかが全く分からんまま終わるというのがほとんどだ。*1
日本における宗教も、文学も、文化も、芸術もすべてそうだ。わかりやすいものしか受け入れることができなくなっている。
「欧米思想」というものに影響を受けているのではない。「欧米思想」を理解できないから、「おもしろい」という猿と同じような思考回路でしか物事を考えれなくなっている。
それは洗脳と同義だろ。思想的植民地状態。
日本はあまりにもそういう傾向が強すぎる。骨抜きにされすぎ。
一夜の無政府状態より百年の圧制の方がマシである――アラブの格言
— 恐怖政治・革命bot (@3rdbadstory) 2018年10月28日
まさしくこの通りだ。
もっと思想を持て。牙を磨け。
渋谷で自分は強くなったかと思っていたとしてもそれは支配の中で行われているのだ。
雑考。
*1:
話は逸れるが、日本の性教育だって同じだ。何も大切なことは教えやしない。
そもそもセックスについてだとか、妊娠したらどうするべきか、流産したときの対応は、その後どうしていくべきかなど。「セックス=恥ずかしいこと」みたいな意識が重要な部分を欠落させている。また、日本は不十分ではありつつも、理系に力を注ぎすぎている。「理系なら就職に強い」といったような、またもわかりやすい図式しか見せようとしない。文系については更に不当な扱いしかしていない。「学んで何になるの」、「将来役に立つの」とか糞の役にも立たない返答しか返ってこない。ノーベル文学賞で村上春樹が話題になったりだの、全然日本とは関係ないカズオ・イシグロがもてはやされたりするだけだろ。もてはやす輩はそもそも読んだのか?