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ツイッターやってます(@bonkurabrain)。映画。映画は体験。映画が不謹慎で何が悪い。本、映画、宗教の話が好き。

神話的叙事詩が熱狂させる私たちの心と普遍的ロマン~『バーフバリ 王の凱旋』~

正直、まったく目を付けていなかった…。

妻が突如『バーフバリ 伝説誕生』を観たいと言い出し、流れで鑑賞。

そして『バーフバリ 王の凱旋』を土曜日に鑑賞してきたが。。。

これはとてつもない。。。

なんだこれは…。

これはちゃんと書いておかなければならない、ということで筆をとった。

 

「バーフバリ 王の凱旋」予告編

 

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ギリギリ大画面で観れて大満足。。

 

土曜日22:40の回を見たが、気付けば次の日の15:20にも劇場に来ていた…。

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神話的叙事詩がなぜここまで熱狂させるのか

 

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『バーフバリ』1と2のあらすじはもういろんなところでたくさん書かれているので割愛させてもらう。この物語がなぜここまで人を熱狂させているのかということについて考えていきたい。

本当に一言で表すと、「単純明快かつ誰もが知っている物語」であるのが大きな要因だろう。話の構造としては、「王位を奪った悪の王に息子が今立ち上がる!」というだけのもの。とてつもなくわかりやすい。

そして、「誰もが知っている物語」という部分においては、私も含め、日本に居住している人の多くはヒンドゥー教や「マハーバーラタ」に明るくはないだろう。しかし、この物語はどこかで必ず聞いたことがある。一番大きなところでいうと「出エジプト記(Exodus)」を彷彿とさせる。

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(マルク・シャガール)

 

 

エジプトではイスラエルの子孫が増え、奴隷にされる。イスラエルの民の増加を恐れたエジプトのパロ(王のこと)は、「男の赤ちゃんは殺せ」と命令。そんな中、エジプト王の娘がナイル川に水浴びし、かごに入った赤ちゃんを見つけ、「モーセ」と名づけ、引き取って育てる。

 モーセは成長し、ある日、同胞イスラエル人がエジプト人に打たれているのを見て、エジプト人を殺して助ける。殺人がバレて、ミデヤンの地に逃亡し、現地の娘チッポラと結婚。

 ある日、羊を飼っているとホレブ山で燃える柴の中から神の声がかかる。「エジプトに行き、民を救い、先祖たちに約束した地に導き出せ」と告げられる。

 モーセは兄アロンと再会し、共にエジプト王(称号パロ)に神の奇跡を現して、「民を行かせるよう」、たびたび交渉するが、パロは聞き入れない。最後に長子が死ぬという災いがエジプトに起き、とうとうパロは、イスラエルの民がエジプトを去る許可を与えた。イスラエルはエジプトを急いで出る。これが「過越祭」となる。(http://ekuresia.web.fc2.com/ten/seisyo/youyaku/r3.html より引用)

 

小さい頃に親に『プリンス・オブ・エジプト』を見せられた記憶もあるが、あれも川に流された赤子が、己の出自を知り、母国へ喧嘩を売るという内容が強く頭にこびりついている。私も神話に詳しい人間ではないので、深く入り込んだ話はできないが、このような話はこの世界中、どこの文化においても普遍的に存在しているものなのだと思われる。

ましてや兄弟のいざこざ、嫁姑問題なんて腐るほど見受けられる。マハーバーラタの歴史、旧約聖書の歴史なども考えると、このようなありふれた物語がいかに民衆を熱狂させ、扇動してきたかということなのだ。つまるところ、これは世界中の人間が大好きで、否応にも熱中してしまうはずなのである。

 

私たちは結末を知っている

 

この映画を批判する人の中には、「結末がわかっているので何のひねりもない」という人もいるそうだが、ここがまた神話としてこの映画を読み解くうえで重要な部分になっているのではないかと思う。

この物語は話のスタートから終わり方まで、もう映画が始まった時点で誰もが理解可能であり、知っている(バーフバリが勝つことは全員が知っている)。また、この物語の中に織り込まれている話も私たちは知っている(1のラストでカッタッパが裏切ることを知っている中、その経緯を2で追っていく)。みんなが既知の物語であるからこそ、歌舞伎的に鑑賞することができるのではないだろうか。デーヴァセーナがピンチに陥ったときに弓3本を放つ(ここへの伏線の張り方も素晴らしい)バーフバリが現れたときには「いよっ!待ってました!」と手を叩きたくなる感覚にもなる。

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バーフバリの無双っぷりも神話として主人公の最強さをまさしく目の当りにし続ける点でとても爽快である。なので、この物語を見ていると、「この展開知ってる!」、「きたきたコレコレ!!」という全員が待っている展開を恥ずかし気もなくどストレートにぶち込んでくれる点が見ていて痛快なのだ。

エンターテイメントとは何かをこの物語から考えたとき、神話的叙事詩をみんなが知っている太古から受け継がれる物語として真正面からぶつけてこられることは、見ている人間としては胸が熱くなるんだなあと。なぜ神話が語られ続けてきたのかという答えはここにある気がするのだ。はるか昔、太古から、人は神話に熱狂し、文化の一部としてその肉体に宿してきたのだろう。

 

だからと言って盛り上がるという単純なものでもない

 

しかし、批判にもある通り、みんなが知っている物語だけをただ行うのなら、日本で『桃太郎 伝説誕生』(これもまた川を起点とした王政破壊物語だな)を作って上映すれば流行るのかというと、そうもいかないだろう。この映画はその上で壮大なセットと、何よりいちいちかっこいいカメラワークが場面場面を盛り上げている。特にカメラワークについては、『バーフバリ 王の凱旋』の方は1作目に比べて格段に良くなっているように感じる。まず、2の冒頭、シヴァガミが悪魔祓いの儀式をしているシーンから始まるが、突如ゾウが暴れ出す。その暴れた像がシヴァガミに向かって突撃していく…!ここで観客は「バーフ!バーフはどこ!!??」となるところで、木で鍵をされている巨大倉庫の扉が「ドン!ドン!」と鳴り、巨大建造物といっしょにバーフバリが登場!!!!ここでも「待ってました!!!」と言わんばかりの登場。ここのカットが異常にかっこいい(どのようにバーフバリが鍵かかってる倉庫にいたのかは謎だが、細かいことはこの映画ではどうでもいい)。そしてゾウをなだめる中での下から見上げるような巨大建造物(ガネーシャ)のドアップ。これがまたかっこよすぎる!!!

また、スローモーションの使い方もとてもよく、デーヴァセーナが登場してからの戦闘シーンでのスローモーションで相手をなぎ倒す様子は、衣装の色鮮やかさも相まってとても素晴らしい。この世界が幻想的でありつつ、暴力も存在しているという2面性をとてもよく表現している。

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他にも、マヘンドラ・バーフバリ vs バラーラデーヴァでの槍と槍をぶつけ合う直前のあのスローモーションもたまらなく素晴らしい構図である。もう興奮が止まらん。

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母を縛り付けていた鎖でバラーラデーヴァとタイマン張るところも最高。傷に粉塗るところはもはや力士のそれ。

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更に、『バーフバリ 王の凱旋』の名シーンと言えば、痴漢撃退のシーンだろう。この物語に出てくる女性は全員が強い。ウィークエンドシャッフルで宇多丸も指摘していたが、インドの文化がずっと持ってきた女性観が国際基準に合わせてきているというのは納得である。それを感じるのと同時に強気女性たちの姿には『マッドマックス 怒りのデスロード』の女性たちを見ることができる。これは、女性たちの解放の物語(文字通りデーヴァセーナも解放するし)であると同時に、男性の生き方も問いかけてきているだろう。バーフバリがデーヴァセーナの橋となり、その上をデーヴァセーナが渡るところ、ラストシーンでのバラーラデーヴァの黄金像の顔面を歩いて渡るところとの対比とか最高じゃないか!

強い女性が出てくる映画さいこう!

 

『伝説誕生』ラストのライオンクローも大好き。

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神話的叙事詩が描き出す物語は、私たちの太古の記憶を呼び覚まし、血沸き肉踊らせる。その物語の結末を知っていようとも、そこにある普遍的なものに私たちはロマンを感じ、熱狂するのだろう。

 

あとサントラも欲しいのだが、、、

テルグ語版出せや!iTunes!!!!

 

あと、女性専用車両は差別だって騒いでる人間は、バーフバリ見習って大きな器を持て。

 

しかし何をもってしても、

マヒシュマティ王国に栄光あれ!

(ジェイ!マヒシュマティ!!!)